Linuxを触っていると、ときどき安心する瞬間がある。
それは、うまく動いたときではない。
失敗したときに、失敗として正直に返ってくる瞬間だ。
職人の世界で、いちばん信用される道具とは何か。
それは「失敗を隠さない道具」だろう。
職人が最も嫌うのは「ごまかす道具」
良い道具は、失敗を止めてはくれない。
だが、失敗の結果をごまかさない。
- 切れなければ、切れない
- 歪めば、歪んだまま出る
- 狂えば、狂いがそのまま手に返る
そこには
「たぶん大丈夫」
「それっぽく動いています」
という曖昧さが存在しない。
Linuxは、失敗を必ず“失敗として”返す
Linuxもまったく同じだ。
- コマンドが間違っていれば、エラーとして返る
- 依存関係が壊れれば、起動しない
- 設定が狂えば、そのまま不具合として出る
誤魔化さない。
取り繕わない。
忖度しない。
だからこそ、
結果は常に「自分の操作の正直な写し鏡」になる。
優しさより、誠実さを選ぶOS
最近のOSはとても優しい。
- 勝手に直してくれる
- 勝手に更新してくれる
- 失敗しても、表に出ないようにしてくれる
だが、その“優しさ”は同時に
「何が起きたのか分からない」
という不安も生み出す。
Linuxは違う。
優しくはない。だが、常に誠実だ。
この誠実さこそが、
長く使い続けてしまう最大の理由なのだと思う。
Linuxは便利なOSではない。
「嘘をつかない道具」という、極めて職人的な存在なのだ。


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