Linuxは「嘘をつかない道具」である 〜信頼という名の操作感 〜

Linuxは嘘をつかない道具である

Linuxを触っていると、ときどき安心する瞬間がある。
それは、うまく動いたときではない。
失敗したときに、失敗として正直に返ってくる瞬間だ。

職人の世界で、いちばん信用される道具とは何か。
それは失敗を隠さない道具だろう。

職人が最も嫌うのは「ごまかす道具」

良い道具は、失敗を止めてはくれない。
だが、失敗の結果をごまかさない。

  • 切れなければ、切れない
  • 歪めば、歪んだまま出る
  • 狂えば、狂いがそのまま手に返る

そこには
「たぶん大丈夫」
「それっぽく動いています」
という曖昧さが存在しない。

Linuxは、失敗を必ず“失敗として”返す

Linuxもまったく同じだ。

  • コマンドが間違っていれば、エラーとして返る
  • 依存関係が壊れれば、起動しない
  • 設定が狂えば、そのまま不具合として出る

誤魔化さない。
取り繕わない。
忖度しない。

だからこそ、
結果は常に「自分の操作の正直な写し鏡」になる。

優しさより、誠実さを選ぶOS

最近のOSはとても優しい。

  • 勝手に直してくれる
  • 勝手に更新してくれる
  • 失敗しても、表に出ないようにしてくれる

だが、その“優しさ”は同時に
「何が起きたのか分からない」
という不安も生み出す。

Linuxは違う。

優しくはない。だが、常に誠実だ。

この誠実さこそが、
長く使い続けてしまう最大の理由なのだと思う。

Linuxは便利なOSではない。
嘘をつかない道具」という、極めて職人的な存在なのだ。

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この記事を書いた人

情報環境コミュニケーションズ 代表
企業、団体のITコンサル、サポート、システム構築/管理、大学の招聘研究員として大規模調査の設計、集計の効率化、解析などを行っています。
最近ではAI開発環境の構築のサポートも行うようになってきました。
<著書>2008年〜2015年、テクニカルライターとして、週間アスキー、Ubuntuマガジン、Linux 100%, Mac 100%, Mr.PCなど多数のIT系雑誌に寄稿。

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